AI時代における力のかけどころについて その2

久々の寄稿です。SI事業本部1G部長の島田です。

先日YouTubeである対談動画を拝聴しまして、加えて、現場業務で得た知見とMixした所感を書き残しておきます。
先に言っておくと、動画を観た後に振り返って感じた所感を書いているので、「動画でこんなことを言ってました」の部分は私の私見も混じってます。話半分に聴いておいて、所感部分のみ読んでくだされば幸いです。

昨今のAIの進化について、動画中では過去の産業革命になぞらえらて話されていました。
確かにその通りかもしれません。もしAIの発展が避けられない流れだとするなら、過去の歴史がそうだったように、失われていく仕事に固執する企業や個人は、どんなに抗っても、結局“時代の波”に飲み込まれてしまうのだろうなと思います。

「自分だけは取り残されない」と思っている人ほど、進化のスピードに対応できず、AI革命の“ついていけない側”になってしまうのかもしれません。自分とてきっとついていけない側になってしまうのだろうなと思います。

一方で、SESという立場で多くのクライアントやエンジニアの方々と関わる中で、AIの流れを理解しながらも「人類がどこかでAIを使わない」という判断を下す可能性もゼロではない、と感じる瞬間もあります。

もちろんGoogleやOpenAIのような巨大IT企業が「開発をやめよう」と決めても、実際には法律で縛らない限り開発は止まらないでしょう。
それでも、人類全体として「AIは使わない」という選択をする未来が絶対にないとは言い切れません。
もしそうなったとき、AIドリブンで事業を組み立てていた企業、或いはAIに全振りしてキャリアを歩んできた人は一気に基盤を失うリスクを抱えることになります。

動画では「AIの進化スピードは早すぎて、ノウハウが貯めづらい」とも言っていました。
これは裏を返せば、新規参入がしやすいというメリットでもあります。
数か月前、数年前の知識や仕組みがすでに陳腐化していることも珍しくない。
だからこそ、長くやってきたことが必ずしも優位性につながらない。
むしろ“先にポジションを取って試す”こと自体が価値になる時代なのかもしれません。
これは企業的な、業界的なポジションでもそうですし、ある企業内における個人のポジションも然りです。

とはいえ、もし社会全体が「やっぱりAIはほどほどに」とブレーキを踏んだ場合、
例えばAIに任せていた文字起こし・要約・コーディング、成果物の生成などを人が再び一から担うのは容易ではありません。
基礎体力ともいえる“仕事の地力”は、急には取り戻せない。
このギャップこそが、AI依存のリスクだと思います。

結局、どちらに転ぶかは誰にもわからない。
AIドリブンに全振りするのか、逆張りするのか、ハイブリッドでいくのか──
どの選択にも正解はなく、後悔しない判断をするしかないのでしょう。

最後に動画中で強調されていたのは「人柄の価値」です。
AIの時代だからこそ、人に愛される、好かれる存在になることが大きな武器になるという話です。

私の考えとしてはこれは、八方美人になろうぜという意味ではなく、「この人がいると面白い」「この人がいると周りが笑顔になる」「この人がいるとチームに良い変化が生まれる」「この人がいると業務がうまく回る」。

周りの人にそういうポジティブな影響を与えることができる人になりたいなと思いました。

尖ったスキルがなくても「あなたがいてほしい」と思われる人間力。
私自身も、シスナビの仲間として、そんな人でありたいと改めて思いました。

Youtube動画
https://youtu.be/QaXxr6V-0Co?si=gtwag6mGub7K1lKe

【前編】AI時代の力のかけどころ その1
https://sysnavi.co.jp/20231231/

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