AI時代における力のかけどころについて
「読める、、読めるぞ!」
お疲れ様です、SI事業部の部長やプライベートでは小学校のPTA広報委員を務めていたりする島田です。
今日は、ムスカ大佐を見てふと思った個人的私見を整理してみます。
模倣するだけでは自らの血肉にはならない
プログラムに限らず、設計書であったり難解な読み物であったりにも言えることなんですけども、経験の浅い内は何が書いてあるのかさっぱりわからんもんですよね。ひとつひとつ解りそうな部分から読んでみて、意味の分からないものは調べて、少しずつ理解できる部分が増えていって、表現や仕組みを模倣して、試してみて。それを続けていくことで、自分で使いこなせるようになったよな確かと、自分の過去を思い返していました。
またシステム開発で言えば、私も初めは自分でコードを書くのが困難だったものでした。既存のコードのどこかに正解が無いか探して、コピペして、何とか動けと念じながら対処していました。そういう時は大体、無事動かないか、動いたとしても不具合が生じた際に中身が解ってないのでアタフタしたものでした。学習においては模倣がまず初手だとは思いますが、模倣するだけで終わってしまうと自分の血肉にはならんのだなと身をもって知ることができました。
だからこそ、シスナビの若い衆が壁にぶつかっている所を見ると、今、目の前にあるものの理解が中々にしんどかったとしても、積み重ねの道中だと思って頑張ってほしいなという気持ちになります。五里霧中な状態や、先が見えない状態というのは精神的にも辛いものです。できれば直ぐに抜け出して、ストレスから逃れたいでしょう。しかし、壁を乗り越える過程にこそ精神の成長があるとも思うわけです。過度なストレスで精神を病むことはもちろんアカンですけども、少し高いハードルを乗り越える、そしてそれを続ける。さすれば、「いままで自分の力で壁を乗り越えてきたのだ」とか、「自分の人生は自分で切り拓くのだ」という気概が醸成されるでしょう。
模倣することのメリデメをよく理解しておいてほしい。目先のテクニックでその場を乗り切ることはままあるかもしれませんが、それを常態化するのはあまりお勧めしたくないなと思っています。
ここまで述べて、件名のAI時代です。
これからの時代は力のかけどころに注意せねばなるまい
最近、chatGPTにコードを食わせて「ここ何やってんの?」と要約してもらうことを結構やってます。(言わずもがなビジネスロジック、業務に直結してるコードはやりません)自分で読めなくはないのですけども、業務では「理解して自分の血肉にする」よりも「より早く理解して成果に繋げる」が優先される場合があります。プログラム上でやってることや処理の流れを理解するにあたってはAIにやってもらった方が圧倒的に速いのです。
このムーブを振り返るに、これからは積み重ねの大切さも変わっていくのかなぁと一旦思い浮かんだのち、否、積み重ねる方向性、努力の方向性を間違えないのが大事なのだなと思い至りました。一言での説明が難しいので色々と例を挙げてみます。
例一つ目。ちょっとしたプログラムを組みたい時。ちょっとしたというのは、特許を取るほどの独自性があるわけではないが、少し頭をひねる必要がある程度のもの。自分の手でコーディングするにはめんどくさいもの。この分野は力のかけるべきところではないでしょう。AIに細かい指示を与えれば大体やってくれます。一点注意したいことは、細かい指示(つまり仕様の検討やそれの言語化)、出力された結果の正当性の判断と修正指示は人間がやる必要があります。だから人間は手でなく頭を使う時間を増やさんといかんなと。それと、指示もCLIでなく自然言語や画像など、ある程度抽象的なものでもいずれ解釈できるようになってきてるらしいですから、それも含めて頭を使わんといかん時間が増えるでしょう。
例二つ目。ITシステム開発をしていると直面するエラーメッセージやエラーコードの類。これらに対しては、人間がやるのであれば、丁寧に英文で出力される文章を読み解き、自分が実施したことを振り返り、「ここがおかしいのかな?」とコードの修正を行ったり、設定値を変えたりして解決までたどり着くわけです。私自身、エラーメッセージをAIに入力して解決できるかをちょいちょいやってますけども、100%解決できるわけではないですが、中々いい感じです。大体、未熟なエンジニアがやらかすルートというのは決まっているので、集合知で解決できるのでしょう。この分野、つまり既知の問題の調査・解析は力をかけるところではないかと。ここも注意すべき点は、AIが提示する解決策の意味が理解できないといかんわけで、基礎学習は変わらず重要ではないかと考えております。
例三つ目。ちょっと前に全銀システムにて発生した障害や、大手携帯電話キャリアで発生する障害の原因特定。ここは、事象発生に繋がるまでの要因が多岐に及んでいるので、業務全体やシステムの中身に習熟している人間がいないと問題解決には辿り着けないだろうなと感じます。この分野はどうにも予想できんですが、いずれ複雑化したシステムの集合体の不備解析までAIができるようになるのでしょうか。各システムのビジネスロジック、アーキテクチャ構成、ソフト構成、ハード構成、ソースコード丸ごと全部、、、をインプットし、故障個所を推定することができるようになれば、それはそれですごいなと思います。メンテが年々難しくなるレガシーシステムの担い手も、人ではなくAIになる日がくるのでしょうか。それはそれでブラックボックス化間違いなしで怖い気もしますが。
例四つ目。今までにない新規のビジネスの創出。ここはAIは使いどころだろうなと思います。アイデア創出のための壁打ちであったり、システムを実現するためのクラウドサービスの組み合わせ提案だったりは強いだろうなと。でもアイデアだけでは金にはならんので、実行に移したり、資金を集めたり、泥臭い営業活動であったりと、人間がやらんといかん部分は残りますかね。とは言え、小さい商圏で完結できるスモールビジネスであれば人間がやらんといかん部分をより極小化して実装できるかも。もうこうなるとあんまりAI活用云々ではないけど。
まだ例を挙げれますけども、四つ挙げてみたところでちょいと抽象的にまとめ散らかしてみると、少なくとも下記あたりはAIを活用することで力をかける時間・必要性がどんどんと少なくなっていくのであろうと思います。勿論自分はIT業界の一側面でしか例を挙げなかったので、該当しないこともあります。
- 既に世の中にある事象の再現
- 未知の事象の推定
- 習得→習熟までの道のり
既に世の中に存在する事象を理解したり再現したりすることのコストがどんどん小さくなっていくのでしょう。そう考えるといまの変化は何もAI時代特有のものではなくて、産業革命が分かり易い例として、人類が連綿と続けてきた営みの延長線にあるのだなと思います。変化のスピードがどちゃくそ早くなっているというだけで。
おびえることはない
この体が金属なのか粘土なのか、それすら我々の科学力ではわからないのだ。
言い処を見つけるとつい大佐の台詞を口走ってしまいますよね。
もう大分自分の観測範囲では陳腐な言い回しになった気がしますが「AIに仕事が奪われる」という言われ。さすがに最先端でAIやLLMそのものを創っている方々の話は直接聴いたことはないのですけども、活用している方々やYoutubeで発信されている著名な方々ほどあまり恐れを持っていないように見られます。自分もどちらかというと恐れを持っている方ではなく、活用して遊びたいなと思っている方ではあります。恐怖の源泉は未知のもの、理解の及ばないもの、らしいですから、恐怖を感じたくないなら知る所から始めてみるといいかもしれんですね。
ところで、最先端の技術を創っている人達が基礎理論や研鑽を蔑ろにしているかというと、そうではなさそうに思えます。ちょっとこのあたりは最先端に立っている人の背景や、日々インプット&アウトプットしていることを観測しないと推測に過ぎんのですが。そういった人類の営みのフロンティアを切り拓いてくださっている方々の学んできたことを、人類の資産として利活用できると面白いんじゃないかなと思いました。なんかめっちゃできる人の経歴聴くのって面白いですしね。あ、それってデジタルクローンと同じことか。なんか唯一無二の企業じゃないのであれば、経営者の後継者を探す・育てるってより、デジタルクローン作っといた方が楽かもしれんですな。