さとりの書を手にいれた!

最近はpodcastでCOTENラジオとかそれの系譜の、COTEN代表深井さんが出ている番組を聴いてます。島田です。
ここのところ渋谷に出没しがちです。色々探索したいんですけどおひるごはんの時間1hと考えると時間が惜しくて松屋ばかり通ってます。

最近「悟り」に関する解釈でとても素晴らしい考えをもらえたので、ちょっと整理して書いてみます。
情報元は[a scope]っていうpodcastの番組です。

番組のゲストとして来てた松波龍源さんとの対談で出た仏教の話がベースになってます。
とある回の〆で「結局仏教の「悟り」とは何なのか?」って話題が出ました。
その解釈の一つとしては「メタ認知の範囲を時間的にも空間的にも拡げる」的なところに落ち着いてました。
※これはかなり私が意訳してると思いますので、興味を持たれた方は聴くべしです

例えば、何百年も前の、日本とは別の場所で是とされていたこと。
「三国志時代の権力争いで生き残る為に大事だったこと」みたいなのが、
今の自分達からみると、なんじゃそらって感じることだってありますよね。

となると、今の現在社会で一般的に大事とされていることだって、
長い目で見た未来、あるいは適用の場所を変えれば、
全く取るに足らない努力とか、馬鹿馬鹿しく見えることだって当たり前のようにあると。

誰も遠い未来のことは、予想はできても確実なことは言えないわけですし、
今の自分が「善」と思っていることが何百年何千年先も普遍的に善であるかどうかはわからんわけですね。

だからといって何もかも無意味だから諦めろというわけではなく
全ては移ろいゆくものなのだから、今自分の心が赴くこと、これがしたいと思う事
をやることが大切なのだと。

その結果、一喜一憂することもあるかもしれないけども、
それはその時間と場所において原因と結果が結びついただけのことで
長い時間思い悩むことではないんだと

そんな感じで私は受け取りました。

振り返ってみれば、自分も苦しい時はメタ認知の範囲を拡げる行為をやってました。
今自分の心を覆っているこの悩みも、地球・宇宙の何十億年もの歴史から見たら些細なことだな。
って感じで、苦しみをどっかに一旦飛ばす行為をやってましたね。。

番組URLはこちら
#16 結局、仏教の「悟り」とは何なのか?(松波龍源さん編④)

あとゲストの松波さんは、
宗教を日常から切り離されたものではなくて、
当たり前のものとして社会実装されることを目指しているって言ってました。

例えば天動説・地動説のような、今や当たり前になっている常識にしたいと。
物理とか数学とか、生物とか自然科学的な積み重ねって、
年々更新されて、人類の常識として更新されていく面がありますよね。

一方で、宗教って何か「入信しないと学べない何か」みたいに思われているけど、そうじゃないと。

人の心の有りようとして、こうした方が心穏やかに、幸せに、
外的要因に惑わされることなく生きれる方法ってのは、
それこそ先に挙げた数学物理の専門家ばりにめちゃめちゃ考え抜いた先人がいるわけで。
それは人類共通に実装してよい心の持ち方のメソッドがあるんだと。そんな感じでした。

世間には「宗教みたい」という腐し方がありますけど、
それは宗教の本質を捉えていない、
「理解しようとしていない」姿勢なんだなって思いました。

今回も無理やりビジネス的思考に落とし込んでみましょうか。
そうですね。社会貢献とか言うて仕事している時もありますけど、
まずは本当の心の内に「これがやりたいのだ」「これが必要なのだ」と強く思えることをやるのがいいんでしょうな。
その結果、ビジネスとして実らなかったらその時は時代が求めていなかっただけだから
じゃ次行きますか、という感じで。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です